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タグふれんず

ほわっぽ村

ほっとして 心がポッと 暖かくなる
 ハンディがある人もない人も集う、そんな村が「」ほわっぽ村」です
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東北の空に飛べ 竹とんぼ(6)
  次の日は、作業グループのリーダーになった。ボランティアは2,3日で帰っていくので、2日もやると古株になり、リーダーをやらされる。今日のメンバーはオールジャパン。寡黙だが良く働く。二日間で日欧の文化の違いがわかった。
 でも、肌の色の違い、体のデカさの違い、言葉の違いはあっても、優しさは同じだね。


 5日目の朝が来た。いろいろなホーホケキョの鳴き声で目が覚める。正直、年季奉公がやっと終わった感じだ。カラダ的には、ケッコー悲鳴を上げていた。

 でも、充実した5日間だった。テレビや新聞で接していただけでは、平和な日常の中での限界があったと思う。現地に来たからこそ出来た体験があり、被災者の思いを共感でき、連帯感が生まれた。


東京から高校生が二人で来ていた。京都からバイクで飛ばして来た学校の先生がいた。大阪から70代の夫婦が「何も出来ませんが」と車で来ていた。茶髪のダボテンをはいた若者がいた。陽気な外国人も汗を流していた。さまざまな人がいたが、みな熱い心を持っていた。同じ心を持った人たちと一緒に空間を共有できる幸せを感じることが出来た。

 帰りも見渡す限り瓦礫の中をバスが走る。いつになったら復興できるのだろうか。


 気仙沼の三日町というバス停で降りる。降りたところにお菓子屋があったので中に入った。煎餅を買うと店のおばあさんが「ご苦労様でした、ありがとうございました。」と深々と頭を下げられた。そしてもう一箱煎餅をくれた。電車の中で食べてと餅もくれた。 目の奥が熱くなった。
 
ありがたく受け取り、リックに詰めてすばやく帰ろうと思ったが、リックはパンパンでなかなかチャックは閉まらない。中の荷物を出したり、足で踏んづけたり尻で抑えてようやく押し込み、かっこ悪く店を後にした。



 今回の事で多くの経験をした。学ぶことが多かった。行かなくてもいいかと考えもしたが、勇気を持って一歩を踏み出してよかったと思う。震災を通して、多くの人と話し、人の優しさに触れ、ちょっぴり日本を感じた。これからも被災地の復興をずっと見守っていきたいと思う。そして、いつかまた行ってみたいと思う。


| - | 18:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
東北の空に飛べ 竹とんぼ(その5)
  夜のミーティングで、風呂に入れるという話しがあったので、夕食をとった後に行ってみる。NPO団体が持ってきたもの。農家用のビニールハウスに「飛騨の湯」と書いてある。魚用の水槽にお湯がはってある。こんなところで湯に入れるとは思っていなかったのほこりにまみれた体にでありがたい。



 外に出ると満天の星空。天の川も見れた。天の川を見るのは久しぶりだ。  空が澄んでるんだなー。 それだけでもこの地に来た甲斐があったと思う。今夜はゆっくり眠れるだろう。
 しかし、その夜は非常に冷え込み、いくら着込んでも寒くて寒くて眠れなかった。朝日がさすのをじっと待った。

 
 鶯の声で朝を迎える。いろんな鳴き声のホーホケキョが楽しい。。センターでおにぎりと缶詰、水をもらう。食事が当たって非常にありがたいが、毎日同じだ。我々のように数日で去るものはいいが、避難所の人たちは大変だろうなーと思う。

 今日は、外人のグループがいたので、面白そうだから一緒なグループに入った。仙台の高校教師仲間で、アメリカ、イギリス、カナダ、ドミニカの多国籍軍。世界中から集まった人たちだけど、英語で会話している。英語は世界共通語なんだなー、だからあんなに仲がいいのかなー。
 そして非常に明るい。神妙な顔をして、黙々と瓦礫の撤去をしている日本人に比べ、冗談を言ったり、歌を歌ったり、踊ったりととにかく陽気でした。
日本人が外国の被災地に行ったらこんな行動は絶対取らないだろうなー。


 世界は一つポーズを取ってもらいました。
| - | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
東北の空に飛べ 竹とんぼ(その5)
  8時に避難所前の広場で全体のミーティングをする。今日のボランティアは600人ほどで、新しく加わった人一人ひとり挨拶する。その後、リーダーと言われる人が仕事内容を発表し、参加したい人を募集する。



 私は、軽トラックの運転手を引き受け、あちこちの個人宅の瓦礫を運ぶ。
片付けてる中から軍服を来た若者数人の写真を見つける。兵隊に行く前に撮った写真だろうか。
 額に入った天皇家の立派な写真も出てきた。家族に持っていくと捨て短だと言う。天が守ってくれなかったと思ったんだろうか。
 


 4時、作業が終了する。センター広場に戻り、その日の報告会を行う。その場で、「竹とんぼを作って持ってきたので、子どもたちにあげます。昔子どもだったひとにもあげます。」 とマイクで話すとどっと笑いが起きる。一本飛ばすと高く上がったので、「オー!」と歓声が上がる。

中央の女の子がサキちゃんです。サトジーに話しかけてくれた人懐っこい女の子でした。 

広場に集まっていた子どもは10にんほどだったが、竹とんぼを飛ばし始めると続々集まってきた。うちの孫にと言ってもらいに来る年寄りが来るわ来るわ。


それ以上にボランティアの人たちに人気だった。歓声と笑いで広場ははじけた。こんなにも竹とんぼが喜ばれるとは。記念写真も取られた。近くに木があったらどこまでも登っていっただろう。人生最高の時かも知れない。寝ないで100本作った甲斐があったなー。

 
| - | 06:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
東北の空に飛べ 竹とんぼ(その4)
  
5月4日(水)
 まんじりともせず朝になってしまった。鶯の鳴き声で起き出す。ボーっとした頭でテントから抜け出し、あたりを散策する。神戸から来たという牧師夫婦と一緒になる。ボランティアセンター(以下ボラセン)のスタッフとして働いているそうだ。気仙沼でであった2匹の犬の話をしたら、涙ぐんでいた。このあと、二人には色々世話になった。
 少し歩くと気仙沼線の駅ににでた。線路が曲がり、電線が倒れていた。

  

 7時半に朝食となる。おにぎりと魚の缶詰とお茶をもらう。他のボラセンは、宿泊場所はもちろん食事、水は個人の責任において確保することということになっている。しかし、ここ浜区のボラセンは、三度の食事を提供してくれ、ペットボトルの水やジュースまで出してくれた。被災者と同じ食事をする。テントや寝袋がない人には貸し出しもしてくれる。他のボラセンを経験した人は、こんなところは始めてだと話していた。



 ここのボラセンは、飛騨高山の災害復興NPO団体が中心となっていて、いち早くこの地の復旧に入った。、お役所的ではなく、臨機応変に行っている点が他とは違うんだろうと思われる。
 ここの地区は2ヶ月もたつのに電気・水道のライフラインが復旧していない。発電機やソーラーパネルを持ち込んで灯りをつけたり電気を起こしている。組織がしっかりしており、災害復興のノウハウをわかっていること、そして民間組織であることが、このような地区の復興を早めている要因だと感じた。






 

 
 

 

 


| - | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
東北の空に飛べ 竹とんぼ(その3)
  気仙沼から本吉まで臨時バスに乗る。見渡す限り瓦礫の山が続く。その間を縫うようにしてバスは走る。息を呑む光景だ。ボランティアの面々は誰も声を発するものはいなかった。


地震の被害は感じられない。津波にあったかそうでないかによって明暗が分かれている。坂の上は無傷なのに坂を下ると廃墟が広がる。その光景が何度も何度も続くともう坂を下りたくないと思うようになる。、しっかり現実を見なければと自分に言い聞かせていた。




 1時間ほどで本吉総合体育館に到着。そこから迎えの車に乗り換える。
 
 鉄道は寸断され、幹線道路は橋が流されているので、山道を抜ける。




 
 日が落ちた頃にやっと目的地の今朝磯の浜区避難場所のボランティアセンター(ボラセン)、
 通称「はまセン」に到着する。



 手続きを済ませ、薄明かりの中、テントを張る。すでに60張りほどのテントがある。車で来ている人も大勢おり、車の中で寝る人もいた。
 テントの中でコンビニで買ってきた弁当を食べる。明日からのことを考えると不安と興奮でなかなか寝付けなかった。その上、隣りのテントの住人の一人は巨大いびきの持ち主だった。夜中からはダブル攻撃になった。いびきをかく奴はどうして酒飲みで、大声で騒ぎ、尚且つ寝つきが早いんだろう。つくづく酒飲みが恨めしく、うらやましい。
 
 
 
 
 

| - | 13:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
東北の空に飛べ 竹とんぼ(その2)
  新千歳空港から花巻に飛ぶ。ジェットだが、小さくてマイクロバスに羽をつけたようだ。

 花巻駅に到着。花巻は、宮沢賢治の故郷だ。今度来た時にゆっくり記念館に寄ろう。


 花巻から一関に向かう列車からは水を張った水田が続く。桜は咲き終わり、桃の花が咲いている。
瓦屋根の家が目に付く。のどかな東北の山間が続く。


 

 気仙沼が終点。ここから先は線路が寸断されて不通になっている。
 
駅のベンチでおにぎりを食べていると2匹の犬を連れたおじさんが隣に座った。ボランティアに来たというと、案内してやると言う。地元の人なので、道々店先の人たちと挨拶を交わし、無事を確認しあう。駅から坂道を20分下ると港に出る。。水はここまで来た、この家は2階まで水が上がったと説明してくれる。市内に入るにつれ、被害がひどくなってくる。家はつぶれ、瓦礫と化し、車はひっくり返り、船が打ち上げられている。ほこりと魚のにおい、焼けた匂いが鼻につく。








 港に出る。大きな船が何隻も係留されている。おじさんは、昔造船所で働いていたと言うことで、この船もこの船もわしが作ったと誇らしげに教えてくれる。しかし、それらの船の多くは焼け焦げていた。気仙沼には対岸にがコンビナートがあり、地震と津波でタンクが倒れ、油が流失して多くの船に引火、強風にあおられて住宅街にも火が回り、気仙沼の町は灯の海に。おじさんは一晩中その光景を見ていたそうだ。

 

おじさんが連れている2匹の犬は震災孤児だ。柴犬は地震があった数日後ににうろうろしているところを引き取ったそうだ。名前は東北震災1号。ダックスフントは飼い主のおばあさんの遺体を見つけたそうだ。名前は弥太郎。2匹ともとっても大人しく、昔から一緒に買われていたみたいだった。。




 おじさんの家は高台にある。車で逃げようとする後ろから水が迫るが、渋滞で身動きが取れず波に飲み込まれる人がいた。「逃げろ逃げろ」と叫ぶしかなかったそうだ。




おじさんの家には椿の花が咲いていた。



 気仙沼から本吉まで臨時バスに乗る。見渡す限り瓦礫の山が続く。その間を縫うようにしてバスは走る。息を呑む光景だ。ボランティアの面々は誰も声を発するものはいなかった。1時間ほどで本吉総合体育館に到着。そこから迎えの車に乗り換える。幹線道路は橋が流されているので、山道を抜け、日が落ちた頃にやっと目的地の今朝磯の浜区避難場所のボランティアセンター(ボラセン)通称「はまセン」に到着する。



 手続きを済ませ、薄明かりの中、テントを張る。すでに30張りほどのテントがある。テントの中でコンビニで買ってきた弁当を食べる。明日からのことを考えると不安と興奮でなかなか寝付けなかった。その上、隣りのテントの住人の一人は巨大いびきの持ち主だった。夜中からはダブル攻撃になった。いびきをかく奴はどうして酒飲みで、大声で騒ぎ、尚且つ寝つきが早いんだろう。
 

| - | 09:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
東北の空に飛べ 竹とんぼ (その1)
 5月3日から7日まで気仙沼にボランティアに行ってきました。
 
 地震直後、テレビから流される映像には言葉もありませんでした。二ヶ月近くたった今も、がれきの山は残っているし、体育館などに非難している人たちが大勢います。原発の事故は、それに追い討ちをかけています。

 新聞やテレビで被災地の情報がどんどん流れてきます。、復興の役に少しでもなればと募金活動もしました。でも、それを遠く離れた地で、安全な茶の間で見たりしている自分に歯がゆさも同時に感じていました。間接的な援助ではなくて直接的な支援をしたい。頭で考えているより、行動してみようと思うようになりました。

 でも、自分に何が出来るだろうか、逆に迷惑になるのではないだろうかとも考えました。ふと、手作りの竹とんぼが目にとまりました。そうだ、この竹とんぼを被災地の子どもたちにプレゼントしようと思いました。これこそ自分に出来ることだと思いました。
 
 さっそくネットでいつも買っているたけとんぼ屋で100本を注文しました。これこれのため、急いで送って欲しいという理由も添えて。
 すぐに返信がありました。
 「そのような理由なら、無料で提供します。弊社でも少しでもお役に立てれば幸いです」と。その言葉に胸が熱くなりました。見ず知らずの人間に協力してくれる気持ちに感動しました。その好意も一緒に届けるぞと思いました。

 その日から100本の竹とんぼ作りが始まり、今日、やっと完成しました。子どもの日が近いので、こいのぼり付きのものを作りました。
 テントと寝袋、食料などと一緒に竹とんぼも持って出かけました。

 

 

 

| - | 05:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
とどけ 「ほわっぽ募金」!
 東日本大震災の被災者の為に義援金を送ろうという事で行ってきた「ほわっぽ募金」
先日、みんなで近くの郵便局に行って、「にじの夢基金」という団体を通して送ってきました。
この団体は、阪神淡路大震災の時に、被災者の中に多くの障がい者がいるという事で作られた
基金です。報道でも自閉症の人が避難所の体育館に来たところ、周りからうるさいと言われ、や
むなく車の中で過ごしているということが新聞に載っていました。避難所の状況では、多動のある
障がい者を受け入れてもらうのは難しいかもしれません。特別な支援が必要なんですが。ぎりぎりの状況でも、それだからこそ、温かい目で見守って欲しいです。


 ほわっぽ村の村長を先頭に
  みな、真剣な面持ちでした


















| 福祉 | 05:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
どんなとこ
ほわっぽ村は福祉に関わるさまざまな人たちが集う場です。「ほわっぽ村」の精神は、障がいのある人もない人もみんながお互いを認め合い,助け合うことです。そして、愉快で楽しい人ならほわっぽ仲間です。 script type="text/javascript" src="http://jugem.jp/ticker/kaela.js">
ほわっぽ村では何をやってるの?
3つの目的があります。一つめには、作業を通じて働くことの喜びを知り社会参加を果たす。二つめに、毎日仲間と作業をし触れ合う事で仲間意識や社会性を養う。三つめに、作業以外の生活や余暇を過ごすことで人生に喜びと潤いを持つことです。余暇活動として、エアロビクスやミュージック活動、絵画教室を行っています。script type="text/javascript" src="http://jugem.jp/ticker/kaela.js">
どんな仕事をしているの?
自主作業ー陶芸(カップ、湯のみ、茶碗、どんぶり、皿、スープ皿、鉢、オブジェ)      和紙作業(ハガキ、レター、名刺、色紙)      フェルト作業(コースター、ストラップ、ヘアバンド、モビール)       刺繍Tシャツ・バッグ・巾着づくり     電線のリサイクル作業 委託作業ー公園の清掃、老人センターの清掃  freespaceーtitle3 
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